映画『無伴奏』公式サイト

映画『無伴奏』Interview

矢崎仁司/監督
山梨県出身。日本大学芸術学部映画学科在学中に、『風たちの午後』(80)で監督デビュー。2作目の『三月のライオン』(92)はベルリン国際映画祭ほか世界各国の映画祭で上映され、ベルギー王室主催ルイス・ブニュエルの「黄金時代」賞を受賞するなど、国際的に高い評価を得た。95年、文化庁芸術家海外研修員として渡英し、ロンドンを舞台にした『花を摘む少女 虫を殺す少女』を監督。そのほか監督作品に、『ストロベリーショートケイクス』(06)、『スイートリトルライズ』(10)、『不倫純愛』(11)、『1+1=1 1』(12)、『太陽の坐る場所』(14)、『××× KISS KISS KISS』(15)などがある。
― 今、無伴奏を映画化したのは、なぜ?
小池真理子さんの小説は以前から好きで読んでいました。『恋』、『欲望』、『望みは何と訊かれたら』など、映画にしたいと思っていました。ですから、『無伴奏』の映画化の話を、5年くらい前に、企画の宮下昇さんから頂いたときは本当に嬉しかったです。反面、こんな凄い小説を画にできるのかという畏れもありました。だけど、生身の俳優たちで、この小説の登場人物たちを映し撮りたいと挑みました。
― 矢崎さんにとって、1969年、響子&渉&祐之介&エマとは?
この映画の時代は1969年春から1971年春です。僕自身はあの嵐のような時代に乗り遅れた世代ですが、長い間自問していたことは、もしあの時代に間に合ったら、列車にのったか? という疑問です。憧れや後ろめたさはありましたが、もし間に合ったとしても、僕はきっと闘争の列車に乗らなかったんじゃないかなと。だから、渉や祐之介やエマの生き方に共感しました。もちろん、真似っこ猿の響子には一番共感を覚えました。彼らは時代の嵐の中に立ち、自分を見つめていた気がします。
― 原作を読み、映画化して原作の何を描きたいと思ったのか?
映画を作りはじめた頃から、ノーマルとかアブノーマルという言葉に疑問を持っていました。だから最初の長編映画『風たちの午後』は、女性同士の愛についての映画です。その後の『三月のライオン』は、兄と妹の愛の映画です。ですから、当然私がこの原作『無伴奏』に巡り合うのはある意味宿命だと感じます。私は今の社会で、誰もが正しいと信じて疑わない事こそ、大きなクエッションマークをつけるのが芸術家の仕事だと思っています。ある考え方をテーマと呼び(本当は疑わないイディオロギーなんだけど、宗教に似ているかも)自分が信じてるものを表現と言うのは間違い、というか、もし、信じて疑わない思想を他人に勧めるなら、映画じゃない、もっと他の手段を選ぶべきだと思う。人間だって同じで、解りやすい人間は、物語を説明するのに必要なだけで、本当は人は解らないと。いつも言うけど、私の映画で出来ることと言ったら、人に、何か疑問を投げかけるか、人が忘れていたこと、例えば愛とか死とか、日常生活に埋もれて忘れていることを思い出させることくらいかなと思っています。
あと、主人公響子の感情の流れをどうしたら表現できるか、悩みました。そんな時、金子光晴の詩集の最後に小池さんの書かれた文章を見つけたんです。あの時代、高校生だった小池さんが、いつも持ち歩いていたデッサンノートのことが書かれていました。そのデッサンノートには、きっと響子の心情が、時代の空気が、書かれているだろうと思いました。決して日記ではなく、ほとばしる感情をデッサンノートに走り書きすることで、小説に書かれた詩のような美しい言葉を音楽に出来ると思いました。
撮影に入る前に、小池先生にお会いして、そのデッサンノートを手にとって見せて頂き、この脚本は間違ってないと確信しました。小池先生は、恥ずかしいとおっしゃっていたのに、本当にありがとうございます。あのデッサンノートは、この映画を作るうえでものすごい力を与えてくれました。
― 映画化の際に拘ったところは?
原作を映画化するときに、決めていることがあります。それは原作者を第一の観客にすることです。その為に小説の中に埋められた原作者自身の自画像を探すことから始めます。きっと、この小説の中に、原作者が隠れている。まず、それを見つけることですね。でも、今回の『無伴奏』は、ある意味、小池真理子さんの自伝的要素がベースになっているので、小池真理子さんが書かれたエッセイなどを読み、小池さんを知ることから始めました。ですから、原作以外に、小池さんのエピソードも加えたりしました。
まあ、苦労話はしたくないですけど、頑張ってくれたスタッフのために言いますけど。物語の設定が、50年ちかく前の仙台ということをどう映し撮れるかが、スタッフ全員の力量にかかっていました。今の仙台だけでは撮影は不可能でした。それで、あの当時の風景を探すのに、車で1日に1,500キロも移動した日もありました。あと2年以上の話なので、四季折々の変化を映し撮るのも、このスタッフじゃなければ出来なかったと痛感します。
日本中が学園紛争の嵐のなかで、地方都市で思春期を過ごした一人の少女の成長物語な訳ですが、あの時代の空気感を、あの時代に生きた人たちに観てもらい、あのとき吹いていた風を思い出してもらえたら嬉しいです。
それと同時に、今、主人公と同じ年齢の高校生や大学生たちにも、いつの時代でも変わらない反抗心や愛について、感じて欲しいと思います。
― 映画は1969年から71年の話ですが、どの辺が、今の若い人たちにも観てもらえる、共感できる内容か?
十代から二十代の感情の揺れのようなもの、人を愛したり、傷付けたり、裏切ったり、反抗したり……政治的なイディオロギーとかの闘争ではなく、もっと身近な問題に、真剣に悩む主人公たちに共感できると思っています。いつの時代も、変わらないもの、人を愛するということ。エンディングテーマ曲でDrop’sが唄うように「もし、世界中を敵にしてもかまわない……」何か大切な宝ものを見つけ、そしてそれを失くすことで一つ大人になっていくような、そんな自分を抱きしめる観客たちを、映画館の暗闇で包んであげたいです。
― キャストの皆さんはいかがでしたか?
いつも映画を作るたびに、私はなんてラッキーなんだと感じます。映画とは旅に似ていると思います。旅の途中、いろんな人に出会って、映画のエンドマークまで。そして、この映画を観てくれた人たちに出会う訳ですけど。製作途中の旅では、素晴らしい俳優たちに出会ったと思っています。昨年末、ホテルのカフェで成海さんと初めてお会いしたんですけど、すでに響子でした。
私は演出なんかしません。いや出来ません。ただ、私の風景の中に彼ら彼女たちを埋めたいと。ですから、セリフや感情表現に悩もうと、私は答えを持っている訳ではないです。ただ一緒に悩むことは出来ます。でも私の興味は、今、カメラの前に立っている世界中でたった一人の彼女、彼の今を映し撮ることだけです。役を演じることに関して俳優自身の負担はすごく、大変だったと思います。俳優を助ける演出なんて一つもない。ただ「もう一回」お願いするだけですから。ですから、自分の性をしっかり生きている俳優に出会うしかないんですけど、「成海さん、池松さん、斎藤さん、遠藤さんなど、皆さん素晴らしかったです。何度助けられたか解りません。エンドで涙が零れてしまうのは、彼女、彼らが本当に苦悩しながら諦めないでカメラの前に立ち続けたことを私が知っているからなんです。ありがとう。
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